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太田璃音さん (8i41afur)2023/2/3 23:23 (No.690349)削除
無意識の理想から___若桑みどり『お姫様とジェンダー アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』(ちくま新書、2003年)
 ジェンダー、という言葉は身体的性別以外に対して、社会的・文化的につくられる性別のことを指す。ざっくり言えば、自認している精神的な性別を表す言葉である。
 本書は有名なプリンセス・ストーリー「白雪姫」「シンデレラ」「眠れる森の美女」の三作品を取り上げ、著者の生徒である女子大生たちがストーリーの感想や議論を交わしていく形式で進んでいく。そのため、自分もその場に参加しているような気分で読み進めていくことができる。この三作品に共通する点は「美しい女性が王子様と結ばれて幸せになる」こと。また、女性は王子様が来るのを待ち、受け身な存在として描かれている点だ。このようなストーリーが女性たちに無意識の一本線のようなジェンダー観、「自己主張がなくお淑やかであることが女性らしさである」「男性と結ばれる(=結婚)ことが女性の幸せである」ことを植え付けてしまっていると著者は述べている。実際、「女の子の夢や憧れ」といわれて多くの人が思い浮かべるのはこのようなプリンセス・ストーリーだろう。
 私もなんとなく昔のディズニー作品のプリンセス達は受け身の存在で描かれているとは考えていた。このような話が性別による役割分担的や理想の女性像が狭くなっていきそうだとも。そのため、内容がスッと入り納得できるものだった。
 しかし、本書はジェンダーに対し疑問を持った人だけではなく、むしろ全く疑問を抱いていない、ジェンダーについてこれといった自己解釈がない者にこそ読んでほしい作品である。
 この本は自分が無意識に抱いている「憧れ」や「理想」のジェンダー観に気づかせてくれるヒントが書かれているからだ。こうした無意識に取り憑かれて息苦さを感じている人は男女問わず少ないと思う。この本を読めばその無意識にハッとさせられるだろうに違いない。そしてお互いの性別に、個人に歩み寄る上で重要な視点を得られると考える。(778字)(最終版)
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江口大也さん (8ixpe9va)2023/2/3 22:31 (No.690289)削除
職業って、仕事って、なんなのだろう。――三浦しをん『ふむふむーおしえて、お仕事!―』(新潮社、2015) (第9回課題)

皆さんにとって職業とは、仕事とは、なんですか?今回私が読んだ新書は著者の三浦しをんさんが様々な女性の職人の方に職業とは、仕事とは何かを聞きその内容をまとめたインタビュー集となっていました。インタビューに応じた職人の方たちの職業も多岐にわたっており、靴職人やビール職人、染織家、活版技師、女流義太夫三味線、漫画アシスタント、フラワーデザイナー、コーディネーター、動物園飼育係、大学研究員、フィギュア企画開発、現場監督、ウエイトリフティング選手、お土産屋、編集者と全員で15人の方のお話が載っておりその中には皆さんも気になる職業の職人の方もいたかと思います。
皆さんも今現在なりたい職業がある人もいると思います。ある人たちには自分が今まで考えたことがないことに出会えるとおもいます。またまだなりたい職業が決まってない人たちにもこの先の人生で仕事を見つけるということはなんなのかや、選ぶうえでなにが大切なのかが見えてくると思います。
この本では著者の三浦しをんさんが独特のインタビューをして、働く女性たちの仕事に対する情熱や誇り、想いなどが載っています。自分も読んでいくなかで仕事となにか、どのようなことを大切にしたらいいのかなど考えながら読むことができました。この本では女性の方たちにはもちろんのことですが、自分は特に男性の方たちに読んでもらいたい一冊だなと感じました。
 現代では女性も働くということが一般化しつつあるものの未だに女性は主婦として家にいることが当たり前だと思っている方が少数ではあるもののそのような考え方がいるのも事実です。しかし、時代は変わっていくものです。女性の意見も平等に尊重されなければなりません。そんな世の中だからこそこの本を通してさらに幅広い世代が認識を変えていく必要があると思いました。(803文字)
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岩崎史也さん (8i32wy12)2023/2/3 22:31 (No.690288)削除
2022年現在、ヤクザの数は2万8000人。人口比に換算すると4人に一人がヤクザの計算になる。全盛期は18万人いたといわれるヤクザはすっかり衰え、生活に困窮する人たちが現れている。それほどにヤクザは「食えない仕事」になったのだ。
私の紹介する「だからヤクザをやめられない 裏社会メルトダウン」では現代のヤクザがどう生きているか、暴力団を抜けたヤクザはどれだけがまともに暮らしていけるのかが克明に描かれている。第2章「元暴アウトロー」では、組を抜けたヤクザが何をして生きているのかを中心とした内容で、今でもヤクザの商売の大半を占めている薬物販売や詐欺などがかかれている。ヤクザといってもルールはあり、薬物の使用はご法度だ。しかし、それはあくまで組内、団内の話であり組を抜けてしまえばそのルールは適用されない。それで逮捕されたとしても刑務作業でもら言える金額は雀の涙程度で出所できたとしても待っているのは元の生活。
この負のループの中で生まれた子供は親以上に深刻で、親が元ヤクザだから保育園にも入れない、公的な支援を受けられないなど様々なハンデを背負いアウトローに走ってしまう。暴対法などが施工されヤクザが暮らしにくくなった現在にとって彼らは社会に生きることを否定されているといってもいいといったようなことをこの本から読み取ることができた。
社会のシステム的に悪を排除するのは至極まっとうなことだがその子供だけでも救済することはできないのだろうかよ言った考えが頭に浮かんだが、それをするにはどうしても法律の改正が必要になる。そうなれば民意としては「国は我々ではなく社会不適合者を優遇するのか」といった意見になり結局誰も救われない。この問題を解決するにはどうすればいいか、結局ヤクザには何が必要なのか、私にはわからない。しかし、何度も道を踏み外した人間に更生プログラムをかけたところで、その人間が社会の模範的な人物になるはずがないと私は考える。(最終版)
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江口大也さん (8ixpe9va)2023/2/3 21:56 (No.690228)削除
昔って本当に良かったの? --パオロ・マッツァリーノ『「昔はよかった」病』(新潮社、2015)

「昔はよかった」皆さんも一度は実際に聞いたことがあると思います。しかし本当に昔は今よりよかったのでしょうか?本書はイタリア生まれの日本文化史研究家のパオロ・マッツァリーノが日本の様々な時代の新聞や書籍などのデータから日本の今と昔を比べた内容となっています。

昔はよかったなんて耳にタコができるほど聞かされて正直うんざりだという人もなかにはいると思います。ですが、ある意味昔は本当に良かったのかもしれません。現代の日本では真面目な人が多く現代技術などの恩恵でとても住みやすい国になりましたが、昔はよかったという人たちはダメで変な人達が周りにたくさんいてなにをするにも苦労だった日々が好きだったのではないでしょうか?これは流石に言い過ぎかもしれません。しかし実際昔の日本に比べ現代の日本は技術面や生活面などでも様々な進化を遂げています。
 昔はよかったなんていつの時代でも言われていたことです。昔という懐かしい思い出を美化してその時代を知らない若者に押し付けているだけではないですか?そのような疑問を持ち続けながら生活することが大切なのではないかと思います。よく調べもせずに根拠のない良かったを押し付けるだけでは本当に良かったものが見えてこなくなってしまいます。これは昔はよかったという大人だけではなく今を生きる若者にも言えることだと思います。 
 本書では著者の独特な切り口から現代の日本と昔の日本を比較することができ、ブラックジョークが多々挟まることにより日本人の直接的に伝えないことがズバッと出てきて自分たちに対する忠告を感じることができます。過去に対する疑問や悪かった点のみを指摘するだけでなく良かった点やこれからの人生で自分が過去を語る立場になった際にどのような点に注意するべきかを学べる一冊でした。
 昔はよかったという言葉を聞き飽きた人にはもちろん読んでほしいですが、今の自分達のような若い世代の人達にも改めて現代の日本について知ることができるので是非読んでほしいと思います。(840文字)(最終版)
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大竹文音さん (8lpki4t3)2023/2/3 21:46 (No.690211)削除
君はこれを知らずに生きるのか!ーー石黒圭『日本語は「空気」が決める 社会言語学入門』(光文社新書、2013)


 私たちが今会話で扱っている日本語は果たして正しい物なのか、学校では教わらない。社会言語学と聞いてすぐに誰しもが理解できる物ではないので、一例を挙げてみよう。例えば、
若者語の特徴
①断定を避けるぼかし表現が多い  ②強調する程度副詞の発達 ③気持ちを伝える形容詞の多用    ④テンポを速める略語が多い ⑤共感を持って相手の話を受け止める表現の豊富さ
といったように、確かに!と思うような、感覚としては知っているのに言葉として説明されるとハッと気づくような学問である。
 文法的な言葉の正しさを重視するあまり片隅に追いやられている「言葉のふさわしさ」。生きた言葉が存在するのは人と人とがコミュニケーションを行う社会そのもの。社会の中で言葉がどのように使われているのか。これを知ることにより初めて言葉の真の姿が見えてくる。「貴様」「御前」もかつては敬語であるように、言葉の正しさは時代の変遷とともに大きく変わりゆく。言葉として決して正しくなくとも、時と場合によっては最もふさわしい言葉となることは、しばしば我々が日常で経験すること。形式にとらわれることなく、おかれた場面で、空気を適切に読み、どのように言葉を選び使うかが最も重要だということである。社会的立場を考えた上で正しい日本語を選択することは、日々社会で必要であるため、とても参考になった。
 一般的な疑問「なぜ・・・なの?」といったところから各章が展開していく。サブタイトルにあるように学問の入門書、なぜ言葉づかいが場面により変わるのか、敬語だけではなく、環境(社会)との関係、相手との親疎、距離感により言葉が変わるとは毎日のように感じる。「俺、僕、わたし・・・」などの一人称の使い分けなどをドラえもんの登場人物のキャラから説明される。「言葉選びの科学」という表現はそのまま、その場「空気」に合わせた適切な言葉選びのセンスを磨く!という方にはお奨めだ。(826文字)(最終盤)
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国島麻帆さん (8hjytxx7)2023/2/3 20:40 (No.690109)削除
教科書では感じられないロマンの世界史――――玉木俊明『人に話したくなる世界史』(文春新書・2018)


 皆さんは、高校や中学時代、「歴史」もしくは「世界史」という科目にテストで苦しまされた記憶はありますか? 国内や海外の人名や数多くある戦の年数を淡々と暗記するなか地名と混ざって覚えてしまったり、似たような固有名詞や紛らわしい表記に赤ペンを走らせていたりした記憶はあるでしょうか。私は、頭がパンクしそうになったそんな時、教材の資料集のコラムや裏話のようなコーナーに癒されていました。この本も読んでいて似た空気を感じ、教科書の記述のように固すぎず、時折呼びかけてくる雑談のような雰囲気で語られており、読みやすい文体をしています。
 この本は、アレクサンドロス大王の東方遠征やアフリカの黄金にまつわる大航海時代、信長の天下取りとイエズス会の関係など有名でよく知られている出来事から、大数学者フェルマーが築いたと本書で語る現在の保険制度の基礎についてなど、私達に身近なものまで古今東西の世界史のトピックが13章に分けて書かれています。それぞれの章は約10数ページから成り立っており、その中でも2〜3ページほどに話題が分かれてまとまっていて、ちょっとした休憩時間にも手に取れるように読みやすくなっています。
 ヴァイキングは、「荒くれ者の海賊」や「掠奪者」ではなく海を越えてイスラーム帝国とも取引を行なってきた「大商人」。熱心な布教活動だけではなく、死の商人としてのイエズス会。一般的に固定されたイメージとはまったく違う偉人たちの真実や、現代人と密接なつながりのある歴史的事件などが、教科書とは異なる切り口で語られており、歴史が自然と頭に入ってくる一冊です。
 ひとつ気にかかるのは、この本の著者である玉木俊明さんが本書で目指したのは「人に聴かせて面白い歴史」と冒頭で語られていることです。しかし、文中には基本的な国や人物についての説明はあまりなく、読む際には世界史についての基礎知識を持っていた方が楽しめると感じました。教科書類の参考書的な立ち位置で、かたわらに世界史の資料集があるとより一層理解が進むのではないかと思います。
 是非この機会に手に取ってみてください。(870字)(最終版)
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堀田将吾さん (8io52kyh)2023/2/3 18:34 (No.689984)削除
まだ知らないイスラームの世界ーー片倉もとこ『イスラームの日常世界』(岩波新書、1991年)
これまで第三世界として以前はあまり注目されていなかったイスラーム世界だが、現在はその独特な文化や、宗教などが注目されている。しかし、依然として過激なイスラム教思想や一夫多妻制など、人としての権利などが尊重されていないという悪いイメージが先行している面がある。だが実際の様子は違うようで、女性は大体の人間がイメージする黒いベールに全身を包み、あまり華美な服装をしているように見えるが、そのベールの下にはとても華やかな衣装が隠れており、ハーレムなどでは恐妻家な家庭も少ないという。
その他にはイスラム特有の行事である断食月「ラマダン」は断食というマイナスなイメージとは別に期間中街は活気付いているという。その他にもイスラム教の儀礼である、定時に祈りを捧げるのもどこといった場所の指定はなくどこでやってもいいと自由なものとなっている。このようにイスラームの世界は閉鎖的で封建主義がまだ行われているというイメージとは違い、そこに住む人々は我々がおもうよりも自由な生活が送られているというのが事実である。
この著書の中では、日本人である著者が日本とは価値観や宗教観が違う世界に赴き、そこで行われている生活を日本人の感性に赤裸々に誌されているのでとてもわかりやすくイスラーム世界というものが書かれているのでとてもわかりやすく、そして現地の人々とのやり取りが多く載っているので、より世界観に没頭しながら読むことができる。これからの時代グローバルや多様性が多く叫ばれるようになっていることから自分達が知らない世界や価値観を知り多くの知識を取り込み、それを活かしていくことが必要とされていることからこのような本を読み、さまざまな事柄や世界に興味を抱き知ろうとすることがとても重要だ。そして自分の古い価値観や偏見を払拭するためにもあえて自分が偏見を持っている分野について良い情報を取り込むことは重要だと気付かされる面で見ても良い本だと思えるので是非読んでみてほしい。(821文字)(最終版)
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阿蘓奈央さん (8hpetckf)2023/2/3 10:30 (No.689493)削除
現代アートの楽しみ方−−長谷川祐子『「なぜ?」から始める現代アート』(NHK出版、2011年)
 現代アートを見て「理解できない」「難しい」と思ったことはないだろうか。そう感じさせる理由として、現代アートの父と呼ばれるマルセル・デュシャンの主張より、評価基準が外見でなくコンセプトであること・アーティストはモノを選び、それにコンセプトを込めて命名し、鑑賞者に示すだけで誰にでもできること・鑑賞者は自らの想像力を駆使して作品を自分なりに解釈する必要があることなどが挙げられる。感性を高めるという意味では小説を読み音楽を聴くことと何ら変わりないのに、これらの理由から敬遠されがちな現代アート。本書では、東京都現代美術館のチーフ・キュレーターを務める著者が、様々な現代アートを紹介しその魅力と楽しみ方を解説している。
 その魅力とは一体何なのか。ひとつ、アートは時を超えて生き残る“通時性”と、共有する現在をときめかせる、今を共に生きるという“共時性”の2つの力を併せ持っている点である。何らかの形で、きちんと記憶に残っていくものだということ。
 もうひとつ、アートは人と人、領域と領域の隙間を埋めていくための“隙間装置”“関係装置”の性質を持っている点である。色々な媒体と縦横無尽に繋がり、歴史を経る中で分離してしまった目と体を繋いでいく役割があるのだ。
 読み終わったとき私は、本書のタイトルにある「なぜ?」は作品にだけ向けられるものではないと思った。鑑賞者は作者が作品に込めた意味や作った理由に気を取られがちである。しかし、私はなぜこの作品の前で立ち止まっているのだろうというようなよりシンプルな「なぜ?」があるのではないか。まずは、純粋に作品が投げかけてくる何かを受け止め投げ返すという体験を繰り返すことが、現代アートを鑑賞するにあたって必要なのではないかと考えた。
 周りと同じ答えを求めなくても良い。現代アート鑑賞とは、自分の世界を掘り下げることだと感じさせる一冊。(777字)(最終版)
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池田紗希さん (8htw7uxs)2023/2/2 21:10 (No.689033)削除
日本人の日本人による日本人のための日本語 ――石黒圭『日本語は「空気」が決める 社会言語学入門』(光文社新書、2013)

日本語は世界の中でも特に難しい言語だと呼ばれる事がある。そんな中で、皆さんは「上手な日本語」とはどういう物だと考えるだろうか。この本の著者、石黒圭氏(一橋大学国際教育センター・言語社会研究科准教授)は、その場の空気を的確に掴み言葉選びをする「ふさわしい」日本語こそが、上手な日本語だと語る。
 冒頭での上手な日本語とは?の問いかけに対し、「正しい」日本語と答えてくれた方はいただろうか。私もこの本を読むまでは、正しい敬語や言葉選びをすることが上手な日本語であると思っていた。しかし、社会言語学の立場からすると、あるのは「ふさわしい」敬語だけ。そして、その「ふさわしさ」を決める社会的なルールは、正しいか正しくないかのルールではなく、話し手のアイデンティティ(世代や方言等)や、話し手と聞き手の関係(上下関係や親疎関係等)、その場の空気によって変化する緩やかなルールなのだ。

 さて、ここまで社会言語学と日本語の結びつきをずいぶん強調して話してきたが、そもそも社会言語学とは、主に英語圏で発達してきた学問なのである。そのため、文法も表記も違う日本語話者の我々にとっては、つまずいてしまう点が多い難しい学問だった。しかし本書では、日本語の例を中心として基本的な述語が丁寧に説明されるなど、社会言語学の概念が身近に感じる工夫が施されている。また、章ごとに「質問が上から目線、と言われてしまいました。なぜですか?」や「なぜジャイアンは『おれ』で、スネ夫は『ぼく』なのですか?」などのQに対して、著者がAを出し図や例を用いて解説していくのも、この本が易しいと感じるポイントだった。
 最近ではグローバル化が進み、新しい単語が続々と増え日本語がさらに複雑になっていく。そんな中で、人とのコミュニケーションが噛み合わないという経験をしたことのある人もいるのではないだろうか。本書はまさに、そんな現状に戸惑う現代日本人のための「日本語の教科書」と言えよう。(814字)(最終版)
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大乘景さん (8htak834)2023/2/2 16:17 (No.688740)削除
「かわいい」の本質を考えるーー四方田犬彦『「かわいい」論』(ちくま新書、2006)

「かわいい」という言葉は実に汎用的である。例えば太宰治の作品『女生徒』から抜粋すると、好ましく小さい風呂敷への「かわいい」、自分の納得がいく魅力的な髪型への「かわいい」、憐れみを込め相手を見下した「かわいい」、儚く守ってあげたいと思う「かわいい」など含まれる意味は場面と対象物によって様々だ。他にも「かわいいは正義」などという造語も聞いたことがある人、あるいは使ったことがある人もいるかもしれない。

 「かわいい」は「美しい」と隣り合った存在という印象が強いが、「美しい」を使う場面は比較的限られているのに対して「かわいい」は広範囲かつどんな場面で常時使われている。果たしてこの違いは何なのか。

 著者である四方田犬彦は、「かわいい」を「美とグロテスクを媒体としてできたもの」とまとめている。簡単に言えば、人が赤ん坊を見て「かわいい」と思うのは、その赤ん坊は虚弱で儚い存在であることを認識しているからであり、常に泣き喚き、頻繁に排泄をしては交換を主張し、気に入らない食事は断固拒否するのに食べてはいけないものばかり口にする、といった赤ん坊という生き物としての生々しい生態にですら、生命の美しさを感じてしまう。上記で挙げた例はかなり極論ではあるものの、私なりに内容を噛み砕いた「かわいい」の正体である。
 日本国内で常日頃飛び交い、さらには世界の共通語とまでなった「かわいい「という言葉は今では多様性に溢れている。女性が抱く「かわいい」と男性が抱く「かわいい」には圧倒的な違いがあったり、多くの女性が「かわいい」と思われたいと感じる一方で、「かわいい」と言われたくない女性や「かわいい」と言われたい男性の存在など、本来はただの感情であったものが、時代が動いていくにつれてグロテスクで気持ちの良くないものに変貌している様は、気軽に口に出してはいけない言葉なのではないか、と錯覚させるほど衝撃的だった。

 本質的に「かわいい」モノが存在するのではなく、「かわいい」ものとして指し示しまなざすことで初めて対象は「かわいい」ものとなる。あなたが思う「かわいい」に少しでも違和感を感じたならば、本書を読むことでその違和感を何かに変換させることができるかもしれない。(874文字)最終版
大乘景さん (8htak834)2023/2/2 16:26削除
すみません、こちらの投稿に誤りがあったので削除を試みているのですが上手くいきませんでした。正しい投稿は上のものになります。
大乘景さん (8htak834)2023/2/2 16:29削除
すみません、正しいのは「下の投稿(No.688744)」です。
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