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大乘景さん (8htak834)2023/2/2 16:22 (No.688744)削除
「かわいい」の本質を考えるーー四方田犬彦『「かわいい」論』(ちくま新書、2006)

「かわいい」という言葉は実に汎用的である。例えば太宰治の作品『女生徒』から抜粋すると、好ましく小さい風呂敷への「かわいい」、自分の納得がいく魅力的な髪型への「かわいい」、憐れみを込め相手を見下した「かわいい」、儚く守ってあげたいと思う「かわいい」など含まれる意味は場面と対象物によって様々だ。他にも「かわいいは正義」などという造語も聞いたことがある人、あるいは使ったことがある人もいるかもしれない。

 「かわいい」は「美しい」と隣り合った存在という印象が強いが、「美しい」を使う場面は比較的限られているのに対して「かわいい」は広範囲かつどんな場面で常時使われている。果たしてこの違いは何なのか。

 著者である四方田犬彦は、「かわいい」を「美とグロテスクを媒体としてできたもの」とまとめている。簡単に言えば、人が赤ん坊を見て「かわいい」と思うのは、その赤ん坊は虚弱で儚い存在であることを認識しているからであり、常に泣き喚き、頻繁に排泄をしては交換を主張し、気に入らない食事は断固拒否するのに食べてはいけないものばかり口にする、といった赤ん坊という生き物としての生々しい生態にですら、生命の美しさを感じてしまう。上記で挙げた例はかなり極論ではあるものの、私なりに内容を噛み砕いた「かわいい」の正体である。
 日本国内で常日頃飛び交い、さらには世界の共通語とまでなった「かわいい」という言葉は今では多様性に溢れている。女性が抱く「かわいい」と男性が抱く「かわいい」には圧倒的な違いがあったり、多くの女性が「かわいい」と思われたいと感じる一方で、「かわいい」と言われたくない女性や「かわいい」と言われたい男性の存在など、本来はただの感情であったものが、時代が動いていくにつれてグロテスクで気持ちの良くないものに変貌している様は、気軽に口に出してはいけない言葉なのではないか、と錯覚させるほど衝撃的だった。

 本質的に「かわいい」モノが存在するのではなく、「かわいい」ものとして指し示しまなざすことで初めて対象は「かわいい」ものとなる。あなたが思う「かわいい」に少しでも違和感を感じたならば、本書を読むことでその違和感を何かに変換させることができるかもしれない。(874文字)最終版
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高梨壮汰さん (8hlne9f4)2023/2/2 16:16 (No.688738)削除
働き方ーー竹信 三恵子ー『正社員消滅』(朝日新聞出版 2017)



「正社員消滅」思わずドキリとするようタイトルである。既に派遣社員が4割というのが現実であり、派遣社員と言っても昔のパートとは違って正社員並みに働いているのだから事態が悪いと思う。そして、既に派遣社員無しでは業務は成り立たない。
そもそも正社員とは何なのか、戦後の国際社会の中で働き方の標準として正社員と言う考え方が生まれてきたらしい。つまり、経営者の勝手な判断で解雇できないという、労働者の生きる権利を守るという観点からの労働者保護である。
しかし、グローバル化が進み人材派遣が解禁され非正規社員と言われる人たちが増えてくるに従って、正社員というものが改めて意識されるようになってきたと言うことである。ちなみに私たちも非正規社員である。そこで本書にも取り上げられている問題点をいくつか挙げてみた。
・我が国の労働市場においては,正社員とパートタイム労働者との間に「職務」と「賃金」の連結を認めるための社会的基盤が成立していない
・日本の正社員はパートにはない様々な 義務を負っているとされる。残業命令・配転命令に従う義務,退職後に元の会社と競合関係にある会社に就職してはならない競業避止義務,業務命令への服従義務など
確かに産業構造の変化で働く場所、必要とされる人は変わってくるし、グローバル化による競争はとどまることを知らないように見える。労働者は一体どうしたらいいのだろうか。労働者の権利や保護はどんどん縮小し、会社オーナーの都合の良いただの労働力として存在するだけになってしまうのだろうか。
本書を読むと日本の労働問題の問題点を改めて思い知らされる。しかし、解決策はあるのだろうか。社会全体の問題であり、身近な問題でもあるがなかなか難しい。
少なくとも所得配分や税率を見直して累進課税を元に戻し、法人税を元に戻し、格差を是正していくしかないように思えるが、それだけでは根本的な解決にはならないだろう。意識を変革し、最終的には経済を脱却できない限り無理なように思える。(828)(最終版)
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佐藤秀吾さん (8lpglf3f)2023/2/1 07:25 (No.687450)削除
お話ってたいへん。――永江朗『インタビュー術!』(講談社現代新書、2002)

地球上の生物は何らかの形で意思の疎通を図ります。我々人間でいうところの「会話」のようなものです。「会話」、それはただ意思を伝えあうだけの、一つの手段にすぎない単純な行いだったはずでした。ところが今は複雑化し、「会話」によって伝えられる意思にはそれぞれの思惑が混在することが多々あります。素直に伝えてくる者ももちろんいるでしょう。しかし人間は噓をつくことができてしまいます。隠したい、ごまかしたい、面白いと思われたい、こういった様々な思惑、考えが混ざった結果、円滑な意思の疎通ができなくなってしまいました。しかし世の中にはそういった心情を汲み取り、上手に「会話」できる達人がいます。今回はそんな達人のご紹介をします。

 現代の「会話」の達人、それは「インタビュアー」です。彼らは言葉を意のままに操る力を持っています。そしてその力をフル稼働させ相手と「会話」をするのです。この本の作者もインタビュアーで彼の視点から見た多くのインタビュアーの特徴がこの一冊に綴られています。

 例えば、黒柳徹子。彼女も「徹子の部屋」に招いたゲストの話を聞き出す立派な「インタビュアー」の一人で、事前にゲストのことを調べ、多くの資料を用意しておく姿からお手本と呼ばれているそうです。彼女は自分が調べ上げ、すでに知っていることでもまるで初めて聞いたかのように反応して見せます。そうやって進めることで相手が話を止めてしまったときはこちらから話題を振り、初めて聞いたように驚き、笑いながら話を聞くことでゲストに楽しく話してもらうという展開に持ち込むことができるのです。こういった話術のほかに芸能人へインタビューする時の事務所のマネージャーとのNGの駆け引きなど、読んでいてためになる、面白い要素が沢山あります。また、自分たちが読み手としてこれまで何を思いながら読んできて、実際のところはどのように行われているのか、そういったことを考えながら読むことができる一冊だと思います。見かけたら是非読んでみてください。(833字)(最終版)
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小倉香さん (8hn4n92a)2023/2/1 01:04 (No.687332)削除
女の子らしい ――若桑みどり『お姫様とジェンダー アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』(ちくま新書、2003年)

 近年よく耳にする「ジェンダー」という言葉。意味は「生物学的な性差」(オス、メス)以外の、文化的、社会的、政治的かつ心理的な性差のことをいう。意味だけ聞いてもなんとなく複雑で難しい印象を受ける。だが本書は誰しもがみたことがあるプリンセス・ストーリーを題材とし、「ジェンダー」について綴っているため気軽に手に取ることのできる一冊となっている。
 著者は、千葉大学で教授を務める美術史学者。本書の構成としては、実際に著者が女子大の「ジェンダー学」の講義で生徒とディズニーのプリンセス・ストーリーアニメを見て、議論した意見を記録したものとなっている。今回題材として取り上げられているプリンセス・ストーリーは「白雪姫」、「シンデレラ」、「眠り姫」の3つがある。
 まずそもそもあなたは「プリンセス」というものに憧れたことがあるだろうか。かわいい一人の女の子のもとにかっこいい王子様が迎えにきて二人仲良く幸せに暮らす…。憧れはなくともほとんどの人はなんの疑問もなく「女の子の憧れ」や「素敵な生き方」だと思うだろう。
 だが本書は、この「プリンセス」童話は女の子に「女の子らしさ」を意識に刷り込みそれを強制させていると捉えている。例えば白雪姫の物語の中で言えば、困難の最中、白雪姫は眠っていて王子様を「待って」おり、王子様に「助けてもらい」、幸せに「してもらう」。つまり、「女らしさ」=「他人任せ」(受け身)ということである。おしとやかで、素直で、静かなことが「女の子らしい」と物語は描いており、実際に憧れた女の子は物語に影響され「女の子らしい」生き方を選んでしまうと著者は語っている。
 この考えに同調できるかできないかは置いておいて、面白い見方だと私は思った。憧れというものは自分の人生をより広くしてくれるものだと思っていたが、無意識に憧れに自分が縛られているということも確かにあるだろう。少なくとも私はこの本を読むまでそんなことを考えもしなかった。
 ジェンダーというものはおそらくこれからも社会的な課題として残り続ける。将来社会へ出ていく時の準備としてぜひ読んでみてほしい。
(874字)(最終版)
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藤原ゆうみさん (8hmqoosw)2023/1/31 23:42 (No.687287)削除
フィンランドから学ぶ、ゆとりのある生き方 ーー堀内都喜子『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』(ポプラ新書、2020)

 あなたは「フィンランド」についてどのようなイメージがあるだろうか。「サウナ」や「ムーミン」、「オーロラ」などを思い浮かべる人が多いのではないだろうか。フィンランドは2018年に「幸福度ランキング」世界一位になったことで有名だ。他にも安定した国、子供にとって公平な国など、フィンランドがトップにあるランキングは数多くある。本書は、そんなフィンランドが様々なランキングで一位になっている背景や現状などを、著者が感じたことや実体験をもとに、仕事や日常という視点から探っている。
 特に注目したい点は、本書のテーマであるフィンランド人の働き方についてだ。フィンランド人はワークライフバランスがしっかりしている。朝8時頃から働き始め、16時には仕事を終え、家に帰っていく。仕事は早く終わらせて、家族や趣味に時間を費やしたいという人が多かったり、残業をせず効率よく働く人が求められていたりするためだ。それはどんな職業でも同じである。国や社会全体で、決まった勤務時間を守り、よっぽどの理由がない限り残業はしない、させないという文化があるというのが大きい。日本では、皆が望んでいてもなかなか定時で帰るということは難しい。フィンランドのような風潮が社会全体にあるというのは働きやすい要因の一つだろう。
 また、本書にはフィンランドの休み方についても書かれている。フィンランドでは仕事とプライベートが完全に分けられている。夏には一ヶ月休暇を取る人が多いが、その間、会社では人手不足を補うために大学生をインターンシップで雇う。充分に休むための体制がしっかりしているというのもフィンランドの魅力だ。
 日本では今、働き方改革が注目されている。少子高齢化などの社会問題に立ち向かうためには、働き方も時代に合わせて変えていくべきだろう。そんな私たちの生活を見直すヒントやアイデアが本書にはたくさん書かれている。今の社会に生きる全ての人にぜひ一度手にとってほしい一冊だ。(809字)(最終版)
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sososoさん (8hlne9f4)2023/1/29 14:15 (No.684526)削除
働き方ーー竹信 三恵子ー『正社員消滅』(朝日新聞出版 2017)



「正社員消滅」思わずドキリとするようタイトルである。既に派遣社員が4割というのが現実であり、派遣社員と言っても昔のパートとは違って正社員並みに働いているのだから事態が悪いと思う。そして、既に派遣社員無しでは業務は成り立たない。
そもそも正社員とは何なのか、戦後の国際社会の中で働き方の標準として正社員と言う考え方が生まれてきたらしい。つまり、経営者の勝手な判断で解雇できないという、労働者の生きる権利を守るという観点からの労働者保護である。
しかし、グローバル化が進み人材派遣が解禁され非正規社員と言われる人たちが増えてくるに従って、正社員というものが改めて意識されるようになってきたと言うことである。ちなみに私たちも非正規社員である。そこで本書にも取り上げられている問題点をいくつか挙げてみた。
・我が国の労働市場においては,正社員とパートタイム労働者との間に「職務」と「賃金」の連結を認めるための社会的基盤が成立していない
・日本の正社員はパートにはない様々な 義務を負っているとされる。残業命令・配転命令に従う義務,退職後に元の会社と競合関係にある会社に就職してはならない競業避止義務,業務命令への服従義務など
確かに産業構造の変化で働く場所、必要とされる人は変わってくるし、グローバル化による競争はとどまることを知らないように見える。労働者は一体どうしたらいいのだろうか。労働者の権利や保護はどんどん縮小し、会社オーナーの都合の良いただの労働力として存在するだけになってしまうのだろうか。
本書を読むと日本の労働問題の問題点を改めて思い知らされる。しかし、解決策はあるのだろうか。社会全体の問題であり、身近な問題でもあるがなかなか難しい。
少なくとも所得配分や税率を見直して累進課税を元に戻し、法人税を元に戻し、格差を是正していくしかないように思えるが、それだけでは根本的な解決にはならないだろう。意識を変革し、最終的には経済を脱却できない限り無理なように思える。(828)(最終版)
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鴫原朋花さん (8hlf0395)2023/1/28 10:45 (No.683300)削除
仕事も人生も大切にする生き方−−堀内都喜子『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』(ポプラ新書、2020)

 本書ではフィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか、これを中心にフィンランド人の生活や考え方を紐解いていく。彼らの柔軟性に富んだ思考と生活を知れば、自身の生活を見直すきっかけにもなるだろう。またフィンランドではAIや語学について学ぶなど未来を見据えた自己投資も惜しまない柔軟性もある。果たしてこの考えや風潮はどこから生まれるのだろうか。
 フィンランド人は自虐的で褒められるのが苦手でどこか日本人とも似ている。しかし家での過ごし方や家族と過ごす時間の意味やそれに対する考え方は異なる。フィンランドでは勤務時間内に仕事を終わらせられる人が仕事のできる人だと考え、残業はほとんどなくワークライフバランスを大切にする。また家族との時間、趣味そして休息も大切にする。さらに社会人でも4週間の夏休みをとり、湖畔のコテージに移り心身を休ませたり、DIYや勉強などに勤しむ。これは休暇中に仕事をカバーするインターンなどを決めておくからこそできることだ。日本では長期休暇を取ることは罪悪感や仕事を断れない風潮などが相まって難しく、休暇がとれても仕事の連絡をチェックしなくてはならない恐れもある。しかし代理を決めたり、短期で学生を雇うフィンランドを見習い改善できるはずだ。学生は良い経験になるし履歴書にもかけてwin-winだ。
 フィンランドは日本より失業率が高いが、それに備えてAIや語学を学ぶ人が多い。さらに、自分の気持ちに従い能動的に行動し。最後まで人に頼らずやり遂げる。留学プログラムや合同企業説明会などが充実し、皆でそれに参加する日本とは違い、留学や就職もプログラムはなく、考えるより行動することが必要になる。その時ごとに自身で調べて行動する。個人に委ねられ、放任的だが自由で柔軟だ。決められたレールの上を走ることが多い日本人には学ぶべきことが多い。
 本書を読めば効率よく、心豊かに生活するヒントやシンプルであることの大切さがわかる。そして仕事もプライベートもより豊かになるはずだ。(825字)(最終版)
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髙橋春樹さん (8hjyfbyy)2023/1/28 00:40 (No.683010)削除
既成概念の崩壊を――矢部宏冶『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書,2017)
 
 統治行為論。多くの人が高校時代に授業で学び、聞いたことがあるだろう。統治行為論は、「『国家統治の基本に関する高度な政治性』を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、高度の政治性ある事柄に関しては司法審査の対象から除外するという理論」(Wikipediaより引用)であるとされている。簡単に言うならば、自衛隊などに対して、最高裁は違憲などの判断を下すことはないと捉えても良いだろう。
 こんなもの、「ただの思考停止ではないか?」とも思うだろう。実際に過去の私もそう感じていたからだ。しかし、その思考停止の裏には、戦後から日米間で決められていた「密約」が存在する。本の中で紹介されているもので特に重要なものは「日米安保条約」に関わるものだ。今まで学校や世間一般で聞いてきた常識が覆るような「密約」が存在し、それは今でも効力を持ち続けているのだという。
 本書では「『それはすでに米軍の上級司令官(太平洋軍司令官)が決定したことなので、日本政府が承認するかどうかという問題ではない』などとストレートに発言しているケースもあるのです」(p.98,ℓ12-14)と書かれている。実際その後に例示されている、2012年の普天間基地へのオスプレイ配備にて当時の野田首相の「オスプレイの配備については、日本側がどうしろこうしろという話ではない」(p.99,ℓ3)という発言が国民の怒りを買った件。この発現も思考が停止しているように思えるが、「密約」があるためにそうならざるを得ないのだという。
 他にも、日本国憲法の草案はGHQによって書かれたものであり、それについての言及を差し押さえたりなど、不都合な出来事と読み取れるものを隠したりなどのいわゆる「ブラックボックス」について多く書かれた本である印象を持った。鵜呑みするも良し、「陰謀論ではないか?」と疑いかかって読むも良いだろう。少なくとも読み終えた時、あなたの思考は止まっていることはないと言える本だ。(843字)(最終版)
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メタキンさん (8hn35llv)2023/1/27 17:12 (No.682569)削除
美化された過去 ――パオロ・マッツァリーノ『「昔はよかった」病』(新潮新書、2016年)

 「まったく最近の若者は」「昔はもっと良かった」、そんな言葉を貴方は言われたことはありますか?
言われたことはなくてもそれに近い言葉は聞いたことがあるはずです。この「昔はよかった病」について、この本では火の用心などの文化の話からコーラとウーロン茶や人情の話まで多くの「昔はよかった」について著者のパオロ・マッツァリーノが主観やデータを交えながら面白おかしく紹介、解説していきます。

この本がたくさんの例えを通して言いたいことは、「昔はよかった」なんていうのは、美化された思い出に浸っているだけで今も昔もそんなに変わっていないということです。
第1章では、現在でも一部の地域でしている火の用心という文化に着目していました。現代人が火の用心は迷惑だというが昔は違ったというのに対し、昔の雑誌などを調べ夜に大きな音を出すのは昔から迷惑している人がいたことを書いていました。

人の記憶は美化されるもの、そんな幻想をラフな物言いで破壊してくる著者の勢いは、他の本では見たことのない面白さがありました。また、この本はただ昔はよかったなんていう人たちを否定するだけの内容ではなく、「昔はよかった」なんて言葉はどの時代にもあったということを教えてくれます。
思い出してみてみると私にもあの頃は楽しかったなんて小さいころを振り返っていたような気がします。今「昔はよかった」なんて言っている人も、自分より年上の人から「昔はよかった」を押し付けられていたし、これから先では、私たちが「昔はよかった」を押し付けているかもしれない。その可能性を考えながら読んでみると、「昔はよかった」ではなく「今も昔もいいところがある」という新しい見方ができました。
この本の構成は章ごとに違う「昔はよかった」を出しては否定していく短編集のような構成をしているので、見たいときにぱっと開いて読める本でした。また、触れる内容も少し際どい部分にも触れていて見ている方がワクワクしながら読めるので是非読んでみてください。(829字)
(最終版)
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トトさん (8hlf0395)2023/1/27 15:26 (No.682489)削除
心も体も大切にする生き方−−堀内都喜子『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』(ポプラ新書、2020)

 本書ではフィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか、これを中心にフィンランド人の生活や考え方を紐解いていく。彼らの柔軟性に富んだ思考と生活を知れば、自身の生活を見直すきっかけにもなるだろう。またフィンランドではAIや語学について学ぶなど未来を見据えた自己投資も惜しまない柔軟性もある。果たしてこの考えや風潮はどこから生まれるのだろうか。
 フィンランド人は自虐的で褒められるのが苦手でどこか日本人とも似ている。しかし家での過ごし方や家族と過ごす時間の意味やそれに対する考え方は異なる。フィンランドでは勤務時間内に仕事を終わらせられる人が仕事のできる人だと考え、残業はほとんどなくワークライフバランスを大切にする。また家族との時間、趣味そして休息も大切にする。さらに社会人でも4週間の夏休みをとり、湖畔のコテージに移り心身を休ませたり、DIYや勉強などに勤しむ。これは休暇中に仕事をカバーするインターンなどを決めておくからこそできることだ。日本では長期休暇を取ることは罪悪感や仕事を断れない風潮などが相まって難しく、休暇がとれても仕事の連絡をチェックしなくてはならない恐れもある。しかし代理を決めたり、短期で学生を雇うフィンランドを見習い改善できるはずだ。学生は良い経験になるし履歴書にもかけてwin-winだ。
 フィンランドは日本より失業率が高いが、それに備えてAIや語学を学ぶ人が多い。さらに、自分の気持ちに従い能動的に行動し。最後まで人に頼らずやり遂げる。留学プログラムや合同企業説明会などが充実し、皆でそれに参加する日本とは違い、留学や就職もプログラムはなく、考えるより行動することが必要になる。その時ごとに自身で調べて行動する。個人に委ねられ、放任的だが自由で柔軟だ。決められたレールの上を走ることが多い日本人には学ぶべきことが多い。
 本書を読めば効率よく、心豊かに生活するヒントやシンプルであることの大切さがわかる。そして仕事もプライベートもより豊かになるはずだ。(825字)最終版
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